沖縄が日本本土に復帰した1972年(昭和47年)、県内で技術士試験が行われ、6人が合格しました。翌年の1973年(昭和48年)、合格者6 名と既に取得していた3名によって、沖縄県技術士会が設立されました。
設立当時、初代会長(大浜用充)を中心に受験セミナー等技術士制度の普及啓発に努めましたが、合格者が少なく、設立から約20年間は会員数が20名前後でした。それは技術士制度の認知の低さだけではなく、1972年以降、技術士試験の県内実施がなされずておらず、県外会場での受験という経済的負担も大きな要因でした。
そこで、第4 代会長(砂川徹男)を中心に、日本技術士会へ働きかけ、1996年(平成8年)、前回の県内開催から24年後、受験地「沖縄県」が認められました。
受験機会が改善されたことにより、会員数は1996年の27名から8年後に104名、26年後に173名に達し、建設部門へ偏在していた会員の専門分野も、電気電子・資源工学・上下水道・衛生工学・農業・水産・経営工学・応用理学・生物工学・環境・総合技術監理部門と多岐にわたるようになりました。
会員数
部門別会員数(部門別内訳)(令和3年5月現在)
部門 | 会員数 | |
正会員 | 173 | |
電気電子 | 4 | |
資源工学 | 1 | |
建設 | 112 | |
上下水道 | 9 | |
衛星工学 | 2 | |
農業 | 24 | |
水産 | 8 | |
経営工学 | 1 | |
応用理学 | 9 | |
生物工学 | 1 | |
環境 | 15 | |
総合技術監理 | 53 | |
準会員 | 8 | |
賛助会員 | 22 |
組織体制(令和3年度総会~令和5年度総会)
役員
- 会 長
- 大城政人
- 副会長
- 福地友史 山中 亮
- 幹 事
- 宮城敏明 古家克彦 武田雅人
川満一史 玉城重則 新城圭太
川満康智 高良茂宏 宮城桐吾 - 監 査
- 親泊宏 城間太基
- 顧 問
- 砂川徹男 備瀬ヒロ子 譜久島哲三
城間敏夫 真栄田義安 来間玄次 - 事務局
- 新城 実
事業部体制
・広報事業部
- 機関誌班(毎年1回)
- 担当役員:新城、山中
- ホームページ班(都度更新作業)
- 担当役員:川満(康)、福地
・研修事業部
- 研修旅行企画班
- 担当役員:玉城、福地
- 講演企画班
- 担当役員:大城、山中
・自主研究事業部
- 活動促進班
- 担当役員:宮城、古家、高良
- 研究グループ
- 担当役員:宮城、古家、武田
沿革
- 1973年(昭和48年)
- 沖縄県技術士会設立(会員9名)
- 1996年(平成8年)
- 沖縄県にて技術士試験再開(会員27名)
前回は沖縄県復帰の1972年
本年以降継続実施 - 1997年(平成9年)
- 研修旅行(九州北部地域)(会員37名)
- 2003年(平成15年)
- 研修旅行(宮崎県綾町)(会員104名)
- 2006年(平成18年)
- 沖縄県にて日韓技術士会議開催(会員124名)
- 2013年(平成25年)
- 創立40周年記念シンポジウム開催(会員162名)
- 2017年(平成29年)
- 研修旅行(熊本県熊本市)(会員174名)